ブログ
成績向上への処方箋 【ノートの取り方】
今回はノートの取り方についてお伝えをいたします。
「東大生のノートは必ず美しい」という本が一時期ブームになりました。
この中の『美しい』という表現が、インパクトが強すぎてノートに対する印象をかなりゆがめてしまったように感じています。
この本は次の様に世間一般に解釈された様に思います。
1)東大生=学力の高い人のノートは美しい(見た目にきれい、字が上手)のだから学力を上げたければ美しい(見た目にきれい、字が上手)ノートを作れば良い。
2)東大生と同じ様に美しい(見た目にきれい、字が上手)ノートを作れば学力が上がる。
3)学力の低い原因はノートが汚(字が汚い)いから。
果たして、この 1)2)3)は正しい解釈なのでしょうか。
それではここで、私の塾で講師をしてくれた東大生たちと接してきた、私の経験を少しお話をしましょう。
幸いこれ迄私の塾には十数名の東大生が講師として勤務してくれました。一橋生をはじめとする国立大学生達、や私立有名校の数多くの学生たちがも勤務してくれました。
彼らと接する中で実際に感じたのはこの本の内容とはかなり違う実態でした。
東大生も我々と同様、字のうまい人も下手な人もいます。特に理系の東大生の字はお世辞にも上手とは言えません。結構漢字を知らず、誤字脱字当て字は私が発見できる程度に結構ありました。
それから、受験期にノートすら作っていいなかった人もいました。というよりほとんどの東大生は「東大生のノートは美しい」式のノートは作っていませんでした。
試しに、東大生に教科ごとに、暗記するための「まとめノート」を作っていたかどうか尋ねたところ、一様にかえってきた答えは・・・・
ノートなんか取ってる暇があったら覚えた方がいいんじゃないですか。
どうでしょうか。安心なさいましたか、それとも失望でしょうか。
この本のタイトルと中身を全否定する気は全くありませんが、私のところで、講師とし勤務してくれた東大生達は少なくともノートについてこんな感想を述べています。
塾を運営する中で私も彼らと同じ様な感想を持っています。
中学生が社会や理科の暗記するため自作のノートを作る時、蛍光ペンやサインペンで彩色して見栄えの良さを整える事に時間を使ってしまっているのをよく見かけます。特に女子生徒に多い現象です。
しかし残念ながらこのタイプの生徒の方が成績が芳しくない事が多いのです。
きれいに書こう、美しいものを持ちたい、この美意識はそれ自体決して悪いことではありません。
しかし、それに熱中するあまり、本来の覚える事、考える事がおろそかになってしまっては本末転倒と言わざるを得ません。
それから皆さんに質問ですが、自分が書いたノートを見直す事ってどのくらいありますか。見直すのはどちらかというと情報が入った瞬間に忘れない様に走り書きしたメモではないでしょうか。
では何のためにわれわれはノートを書くのでしょうか。
1⃣教科書の内容をまとめて書いてその事で覚えようとするためです。これはほとんど見返しません。
2⃣数学や物理の計算問題の途中式を書くためです。これは見返します。
3⃣授業等で講師が話した内容を忘れないために書く先ほどの走り書きです。これも見返します。
このような目的で書くのであれば色彩的な美しさは必要ないですね。2⃣3⃣の場合は後で見返すので丁寧である(自分で読んで分かる程度に)必要はあります。
しかし自分が読める程度の字を書いていればそれで良いかというと今回の大学入試改革で少し事情が変わってきています。
昨今注目を集める大学入試改革のでは、一旦マーク式の試験に傾いた流れが記述式に揺り戻されています。都立高校入試もその影響で記述問題が増えています。英検等の各種資格試験も記述式出題は増えており今後もその傾向は強まる事が確実です。つまり、受験生の答案は誰かに必ず読まれ、採点される可能性が以前より高まっているのです。従って、自分が読める程度の字では十分ではなくなってきており、採点者に読んでもらえるような丁寧な読める字を書かないと採点の対象にならなくなってしまいます。この点は注意が必要です。しかし、美しいが求められているわけではない事も再確認してください。
もう一度繰り返しますが、文字は美しい必要はありませんが、誰が読んでも読める程度に丁寧である事は求められます。
さて、塾を運営して生徒と接する中で、生徒の書いた字を見て、生徒の学力が上がってきたなと感じる瞬間、場面があります。ある意味直感のようなものですがだいたい当たります。それは生徒の字が丁寧になってきた時です。
国語の文字、数学の数字、などが読みやすく、「読める」字で書かれているのを見た時そう感じます。英語の場合はアルファベットが読みやすくかかれており、さらに単語と単語の間のスペースがしっかりと取って書かれているのを見た時、学力が上がったと感じ、この感覚はほぼ当たっています。
数学では途中式がしっかり書けている生徒は数学の偏差値は高いです。数学の途中式については後日ブログで触れたいと思います。
ではなぜ丁寧に書ける様になると成績がそれに比例して上がるのでしょうか。
脳は自分で書いた字、式を見ながら思考を巡らせています。
その字がしっかり書けていない、読めない状態ならどうでしょう。脳は思考を中断せざるを得なくなります。
ある著名な数学の講師がこんなことを言っていました。
「手で書き、目で見て、頭で解け」
丁寧に字を書く、式を書くことが学力向上の一歩であることが分かって頂けたと思います。
美しい、美しくないは全く学力の向上と関係ありません。彩色をして見栄えのいいノートを作るのはハッキリ言って時間の無駄です。
しかし、効率よく学習するためにノートが必要なことも当然あります。その時のキーワードは
『自分と採点者が読める丁寧な字を書く』です。