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【講師田中の一橋大学までの軌跡】第2話「原点は祖母のスパルタ教育」
「勉強ができるから」とある種の“洗脳”を受けていた田中少年。
晴れて小学生になりました。
記憶はあいまいですが、勉強に対するモチベーションは低くはなかったと思います。
ただ、よくありそうな親の期待に応えなければというプレッシャーというよりは、
「自分は本当に勉強できるのか?」という好奇心がモチベーションとなっていた気がします。
授業が始まって間もなくのこと。
担任の美人な女性の先生(こういうところだけよく覚えている←)が出した宿題が田中少年の生活に大きな影響を与えました。それは、「音読」です。
家に帰り、意気揚々と「親に宿題でたよ~」と親に言うと、
僕や親よりもやる気に満ち溢れていたのは祖母でした。(笑)
両親が共働きの家庭だったので、祖母が、学童から帰って僕の面倒を見てくれていました。
祖母は昔ながらの教育を大事にしていたので、「音読」の宿題だけは熱心にやらせました。
毎日、教科書の話(「スイミー」や「スーホの白い馬」等)や谷川俊太郎らの詩について、
毎日1~2時間訳も分からず、お経の様に唱えさせられていました。
泣いても終わるまで許してもらえません泣。
確か、宿題は週一に提出。親の判子をチェックシートに押す形で、
音読カードが年間で8枚(5日~7日分。終わると次のカードもらえる)。
頑張る子で12枚ほどでした。
そんな中、僕一人だけ、10倍の100枚を超えていました。(笑)
それくらい音読をしまくると、どうなるのかというと、
「暗唱」できるようになりました!!
詩だけでなく、教科書のお話(先程のスイミーやスーホの白馬)も当時は暗唱できていました。
地獄の日々は、
今から考えると、すさまじい日々でしたが、振り返ってみると、かなり実りある日々でした。
なぜなら小学校1、2年生で、
・読解力、理解力、暗記力
・1~2時間勉強する習慣
・人よりも努力をしたという自覚(小さな成功体験)
が身に着いたことは、僕の勉強に対する意識や姿勢のベースを作ってくれたことは間違いありません。
勉強の基礎は、間違いなく国語です。
「文章を正確に読み、意味を理解する」ことが勉強の基本であり、極意です。
国語ができる子ほど、他の科目ができるようになるのは至極当然です。
地獄の日課は、小学校3年生に祖母が他界するまで続けられました。
スパルタ教育の反動で、勉強しなくなったのが小3以降(←おい)ですが、
基礎の基礎が固まっていたので、そこまで苦労せず、それ以降の勉強に当たることができました。
幼少期の学習習慣や姿勢の大切さは、教える側に立つことで、身にしみて感じています。
祖母の愛の鞭には感謝してもしきれません。ありがとう、おばあちゃん。。!
To be continued...