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【講師田中の一橋大学までの軌跡】第16話 塾の校舎長がいない時期が一番成績伸びた話
こんにちは!
前回、国語の偏差値を15上げた話 をしました。
実は、ちょうど「毎日論説文を1題解く月間」をしていた時期は、
塾の校舎長がいない期間でした。
裁判員制度だか、会社の研修で1ヶ月間飛ばされていただかでいなかった記憶があります。
(正直あんまり覚えていない笑)
「校舎長がいなかったから、ダメだった」なんて思われるのは心外だったので、
「いないからこそ、頑張ろう!」と思っていた覚えがあります。
(なんだろう、生徒の鏡ですよね←)
ネタバレですが、正直、高校受験としては、
この時期が一番「受験生」として勉強していました。
というのも、個人的な受験生の定義が、
「主体的・能動的に受験勉強をする人」だからです。
この期間以外は、
「与えられた宿題や課題を一生懸命取り組んでいた」だけでした。
これは、つまり、
学校の定期テストがあるから勉強する(=受動的な勉強)
と、等しいです。
国語に限らず、
一番「主体的・能動的」に勉強していたので、
その他の成績も一番良かった時期でした。
難関コースの成績も一番良かった気がします。
全校舎からくる難関生、後に早慶、開成、筑波大学付属を抑えて、3位に入った記憶があります。
高校受験の時期では間違いなく、ピークでした←
校舎長が返って来て、元通りになります。
◆なぜ、元通りになったのか?
・この時点で「主体的・能動的」という結論は分かっていなかった
・単純に言われたことをこなすのは「楽」だったから
これは完全に、僕の怠慢だと思います。
「言われたこと以上のことをやるのが受験生」 です。
このとても重要なことを、未熟な田中少年は分かっていませんでした。
こうして今思い返しても、悔しいし悲しいです。
ですが、同時に、中学生の時に、それが分かって良かったという思いもあります。
人は間違いながら生きている生き物です。
それにも関わらず、傲慢にも「自分は正しい」と思い込み生きがちです。
「内省」という意味でも、非常に大きなものを得た期間でしたね。
この後に、試験本番のことを記事にしようかなと思っていたのですが、
そこに行く前に、終わった感がありますね(笑)
これもまた一つ反省ですね(笑)。
次の記事で、高校受験の結果をまとめてお伝えしますね!
To be continue...